疾患持ちでも人生どうにかなる

持病を発病して数十年。良くも悪くも生かされてる日々。

青いカーテンと君 3

専門学校を半年で退学する事になったが

青春コンプレックスだった私にとっては

キラキラした唯一の短くて儚い青春時代だった。

そんな手前、今に至るまでこの頃の記憶に依存し、色褪せず、綺麗な記憶だった。

実際綺麗になど生きておらず、数知れぬやらかし行為をしては周囲と彼に心配と迷惑をかけていた。

 

19歳だった当時の自分は絵に書いたようなメンヘラ街道を辿り

南条あやを崇拝し、完全自殺マニュアルを枕元に置いていたり

タッパーに薬をため込んではニヤニヤし

ODして救急車からの胃洗浄コースが数ヶ月に一度のペースであり

破天荒な日々を送っていた私だが

彼は離れていくことは無かった。

 

むしろ人生で10〜20代と沢山の異性と付き合ってきたが

彼は唯一「叱ってくれて」そして「悲しい」と泣いていた。

見て見ぬふりや、心の隙間に入ってくる男性の方が9割だった。

 

今思えば、自分自身と正面でぶつかってくれて、受け止めようと必死で

どうやったって理解不能かつ過ちを犯しても

彼は明るい笑顔で

「死ぬなよ」と言っていた。

 

 

 

学校では年上な為あだ名が「姉さん」だった私。

福祉の学校は規則が厳しく

タバコを吸いに行ってはバレて怒られてだった。

タバコを吸うメンバーが彼も含み彼の友人達が多く

近くの喫煙所で女子会ならぬタバコ会を始め

クラスの男子の恋愛相談を聞いたりもしていた。

入学式から3ヶ月後には学科同士やクラスメイト同士のカップルも増えて

当時、このままみんな結婚までいったら面白いね、なんて話していた。

実際は皆別れてしまい、現在は大半は既婚者になった。

 

今までロクな恋愛もしてこず

ネット恋愛

どっぷりだった私にとっては

数少ない健全な場所で健全に知り合い付き合ったのが彼である。

 

突如学校がいけなくなって私は引きこもりになった。

彼は学校に行き、私はカーテンを閉めっきりにし

社会との接触を拒んだ。

彼から「〇〇ちゃんがエレベーター前で毎回待ってるよ、今日は学校くるんじゃないかって。」と。

グループの中で一番気が合ったKちゃんは手紙を彼に託し

手紙には

「待ってるよ!!」という言葉と

「寂しいよ」と書いてあった。

 

それでも私は学校に行けなかった。

今更感もあり、行ってももう留年でしょと。

そうして退学届を貰いに学校に行き退学届を出したのであった。